CYPRUS TOURISM CENTRE
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ニコシアのみどころ
ベッデスタン(Bedestan) (ニコラス教会 - Nicholas Church):
聖ニコラス教会はニコシアの壁のある場所にあります。建物は最初2世紀にビザンチン教会として建てられました。(聖ニコラス教会)

聖ニコラス教会は最初2世紀にビザンチン教会として建てられましたが、後リュジニャン時代にゴシック建築の建物を増築し、ベネチア時代にさらなる変更をしたあと、建物は16世紀ギリシャ正教メトロポリスに献上されました。オスマン時代にはキリスト教会は閉じられ、市場、またはBedestanとして使用されていました。
ダルビッシュ・パシャ マンション(The Dervish Pasha Mansion:
この19世紀の2階建てのマンションの所有者は「ザマン」というキプロスで最初のトルコ語新聞を発行した、ダルビッシュ・パシャです。マンションは ニコシアのArap Ahmet地区にありりここは街の壁の内側です。このマンションには2つの入り口があり、メインの入り口にはイスラム・カレンダー1219年に造られたカレンダー(1807)が見えます。

ダルビッシュ・パシャplaces-to-viist-4_clip_image003のマンションの一階は石で、上階は太陽で乾かしたレンガで造られています。メインルームの装飾された天井に1869年と書いてあるのが見えます。これは後に増築された部分です。このマンションはL字型で広い中庭があります。

 



ニコシア市の壁(Nicosia City-Walls:
キプロスがオスマン人に征服される少し前の1567、ベネチア人はニコシアを守るためリュジニャン人が作った壁の代わりに、街を囲む新しい壁を作り始めていました。ベネチアの有名なエンジニアである グリオ・サボルグナノ(Guilio Savorgnano)が壁建設の計画を立てました。ベネチア人は壁が出来上がる前に、オスマン人に征服されてしまいました。  
The Walls壁は円周3マイルもあり、それぞれが城のような11の砦と3つの門があります。壁は土の城壁ですが表面が石になっています。門はそれぞれ、北に: 「キレニア門」、東に「ファマグスタ門」、西に「パフォス門」となっています。

アラブ アーメット モスク(The Arab Ahmet Mosque:
このモスクはニコシアでトルコ人が作った最も著名なモスクです。モスクは古いトルコ建築の最も美しいサンプルで、アラバハメット(Arabahmet)地区に位置しています。この地区は今日では、古いニコシアの歴史的特長を今に残している唯一の地区です。他のモスクと同様、このモスクも古いラテン教会の跡に建てられました。. アラバハメット(Arabahmet)のモスクは17世紀の変わり目に、アラブハメット パシャに捧げられています。かれはロード(Rhodes)と言う街の総督だった人です。


 
ギャンブラーズ・イン(The Gambler's Inn:
ギャンブラーズ・インはオスマン商人の宿でした。この建物は17世紀の終わりに建てられ、入り口アーチの形や装飾はゴシック調なのですが、それが建物のほかの部分と合わないばかりか、オスマン人の建築様式とも違います。従って、このアーチは、以前この土地に建ってした、別の建物(修道院)にあったものを 使っているのではないかと言うことです。
ギャンブラーズ・インは今ある状態でも素晴しい建物です。中世期ゴシックと中庭の他にも沢山の興味深い部屋を探索できます。



グランド・バス(The Grand Bath:
グランド・バスは旧ラテン教会の残りの部分に造られていますが、これも古い建物が別の目的で再使用されるかという良い例となっています。グランド・バスは浴場としての機能を備えていますが、同時に素晴しいゴシック建築のアーチと古い教会の厚い石壁のセッティングも楽しむことが出来ます。 この元教会はニコシアの風景が変わってきたという証明でもあります。教会は今ではモダンな道路の3メートル下に位置しています。

グレート・イン(The Great Inn:
歴史的、建築的な観点から見ると、ビュユック・ハン(Buyuk Han)はニコシアで最も注目すべきトルコの記念碑でしょう。これはオスマン支配時代の最初のキプロス総統 ムザファー・パシャ(Muzaffer Pasha)によって1572年に建築されたものであることがわかっています。建物は長方形で、2階あり、部屋は中庭と取り囲んで造られており、アーチやドーム状の館に開けれています。
グレート・インは様々な建物や宮殿から運んできた石で出来ています。ですから、中庭の真ん中の小さなモスクを支えている大理石の柱は別の建物から運んできたものである可能性が高いのです。この六角形の円錐の煙突を持つ小さいドームのモスクは、インのトルコスタイルの建築を補完するものとなっています。グレート・インの一階はショップや倉庫、オフィスなどに使われていました。
 





 ハイダルパシャ・モスク(The Haydarpaşa Mosque:
(
聖キャサリン大聖堂- The St. Catherine Cathedral) 
聖ソフィアがリュジニャン時代のニコシアの代表的な建物であるのに対し、聖キャサリンは14世紀のキプロスの「きらびやかな」スタイルを代表する建物でしょう。歴史家のハリー・ルーク卿は、この大聖堂をキプロスで最もエレガントなゴシック調の建物であると評しています。聖キャサリン大聖堂は、オスマン帝国が島を征服してからモスクに転換されました。.
聖キャサリンは長く狭いゴシックスタイルの窓が台の間に造られ、天井に近づくにつれ、もっと狭くなっていくのです。窓の上の方にはゴシック調のデザインで装飾がこれしてあります。 教会には3つの出入口があり、素晴しいゴシック調の石工技術が見られる南出入口と、リュジニャン家紋章が彫刻されたフレームなど注目に値する特性があります。

 

キレニア・ゲートThe Kyrenia Gate:
北のキレニア・ゲートは、ニコシアを囲んでいる壁にある3つの門の一つです。この門は街で最も重要な出入チェックポイントです。これは、建築家、プロビデントレ・フランセスコ、バルバロの名をとって 「Del Providetore Gate」 と呼ばれています。 キレニア・ゲートは今日も、ニコシアの歴史的遺物として、完璧な形で残っています。 もっと読む...
Kyrenia Gate
トルコ人はキレニア・ゲートを1821年に修復し、ドーム型の部屋を上に足しました。門の上のパネルには、コーランの数節が刻まれています。1820年に北側の門にモハムッド2世の封印が押されました。門の前にある大砲は英国がナポレオンからの攻撃に対する防衛策としてここに移したものですが、後にオスマン人の攻撃によって敗れました。

 ラピダリー美術館The Lapidary Museum:
セリミエ・モスクの東にあるラピダリー美術館は15世紀のベネチア・スタイル建築物です。中世期から現代までの石を使った工芸品 (紋章、大理石作品、墓石、柱など) が多く展示されています。 出入口の反対側にある網目模様の入った窓は、英国統治中に破壊された、サラヨヌ広場のリュジニャン宮殿から運んできた者です。

nic-lapidari.jpg.

 メブレビ・テッケ美術館(The Mevlevi Tekke Museum:
キレニア・ゲートの南にある建物は16世紀の末期、オスマンが島を征服した後、アラップ・アーメット・パシャ(Arap Ahmet Pasha )によって建築されました。征服者側の軍隊、ララ・ムスタファ・パシャのの司令官であったアラップ・アーメット・パシャは、島で初めてのカディ、ムフティでありメブレビ教でした。 ( Mevlana Jalaladdin Rumi, によって起こされた "whirling dervishes"と呼ばれる宗教です。). 



メブレビ・テッケはニコシアでは重要なキプロスのオスマン時代についての文化センターです。 キレニア・ゲートの壁の街の内側にあります。
セリミエ・モスク(The Selimiye Mosque (聖ソフィア大聖堂 -The St. Sophia Cathedral :
セリミエ・モスクは、正式には聖ソフィア大聖堂として知られています。この大聖堂は最も素晴しく、大規模な寺院で、キプロスでも最も重要なゴシック建築の建物です。古代大聖堂は現在では、北キプロスでは最高の権威を持つモスクです。建築物としては聖ソフィアは中世フランスの寺院と共通点があります。

 この大聖堂は、アギアソフィア(Agia Sophia )と呼ばれるビザンチン教会によって、同じ場所に建築されたと見られています。 工事はラテン大司教であるエストルゲ・デモンテギュー(Eustorge de Montaigu)により 1208年に始まり、1325年に献堂されサービスが行われました。ュジニャン王の戴冠式は、代々ここで行われたため、キプロスでは最も重要な教会でした。


ベネチアの柱&アタテュルク広場Venetian Column & Atatürk Square:
アタテュルク広場にある御影石の柱はベネチア人により1550年に立てられました。かつては聖マークのライオンが付いていました。オスマン人は柱を取り除きましたが、英国人が1915年に現在の場所に再度立ち上げました。この灰色の御影石の柱はサラミス (ファマグスタ地区).の寺院から運ばれてきたと言われています。
6つのイタリアの家族の紋章が柱の下のほうに見られます。銅で出来ている球体は後に付け加えられたました。アタテュルク広場の西にあり建物(公的事務所)は英国植民地法の元20世紀初めに建てられたものです。

 
   
 
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